9月7日の日記

2013年9月7日
だめだな…。最近ちょっと夫との電話がすごくいい感じだったから、期待しないとかロボット法だとか考えるのをやめて、普段から頭の中で絶賛したりしていた。けど不安材料(不満?不安?)が無くなることなんてありえないんだった。嫌だしんどい。無視したい。あーー…けどどうだろう、問題の本質は結局、やはり私自身の余裕の無さにあるのかも。なんで余裕無くなった?特にここ最近。睡眠時間はかなり減っているかもしれない。けど寝れないのもやはり余裕の無さによるのかも。
1番大事なことは何?優先順位さえしっかり決めてしっかり守れば、最悪なことにはならないはず。最悪なことって何?余裕が無くなるといっきに全部分からなくなる感覚に陥る。とりあえず何だかよく分からない辛い時間を乗り切ろう。今日の夕方に乗り切ったばかりなのに、まさか同じ日にまたもや訪れるとは。
心理テストの話でものん気に書こうと思ってたのに。お母さんに出したところ、鍵をかけた檻からウサギが逃げたから橋を渡って探しにいくらしい。聞いた瞬間笑ってしまって、種明かししたらお母さんも爆笑してた。私のもなかなかいい感じの文章になったけど今は全く書く気が起きない。
けどやっぱり。こうして日記書いてたら少し楽になる。考えたくないことからうまく逃避できるから、だろうな。時間をやり過ごすにはちょうどいい。辛い時間に終わりがあるのであればかなり有効な逃避手段だ。前は終わりなんて無かったじゃないか。今もあるとは言い難いけど、それでも毎日規則正しく新しい1日が来るんだから。
はーーもう真面目なこと書くの疲れたどうでもいい。相変わらずらっきょう豆腐ブーム続いてる。あれ?2階から音が…まさか起きてる!?かと思ったけど勘違いだった。焦った。
傷口を広げてわざわざ塩を塗って痛過ぎて麻痺してそれを楽しむよりも、無視する方が間違いなくまともだ。
生きてたくない、とかだけをひたすら思うのももしかしたら健全な現実逃避かも。結局何も考えてないのと一緒だもん。
例えば頭を全く意味のない言葉で埋め尽くす。例えばらっきょうとかだ。らっきょうのことだけを考える。

あ、終わったらしい。らっきょうのこと考えてるとこで終わった。らっきょう様々だね。てかまたあれだった、女性スタッフ2人とともにミーティングという名の立飲み会。しょうがないよね、スタッフまだ5人しかいない内の4人が女性で、唯一の男性スタッフはまだ他の店とかけもち状態かつ若くて未熟らしいから。すごくしょうがないのは分かるけど私も嘘ついてまで自分のしんどさを隠す気力は無かったから、調子悪いからなるべく遅くなり過ぎないようにしてほしい、とだけメールしておいたところ、本当に早く自分だけ先に店を出たらしい。
相手が女性スタッフだから嫌がっているということを彼はちゃんと分かってる。それでも店を円滑に回すために必要なことだということを、なるべく私が不快にならないよう細心の注意を払いつつ流暢に説明する。やり手だなぁと思うけど、小手先の話術だけでなく誠実さもちゃんと伝わってくる。もういいじゃん、すごいすごい。それでも嫌なもんは嫌だけと。おしまい。あとはらっきょうだ。
そんなわけでテンションMAXで過ごしていた昨日の夕方、数少ない別の友人(広島在住)からメールがきた。以前から会いにくるって話をしていたんだけど、再来週はどうかとのこと。しかし散々毛力さんと会うシミュレーションをしていた私は、子連れで会うことの難しさに散々頭を悩ませていた直後だったわけで、またもや同じ難題に直面したわけで。すると母が、1人も2人も一緒だからうちに呼んだら?と。てことですぐにうちに泊まることを提案したところアッサリ決定。え……なんてアッサリ。いやもちろん全然それでいいんだけど、私的に毛力さんがうちに泊まるという結論に至った経緯はなんか自分的にドラマチックというか大きな決断をしたような、すごく素敵な変化を感じられた気がして謎のトキメキに酔いしれていたのに、こうもアッサリ同じようなことが決まったのかって思ったら、なんか混乱!もっと先程までのトキメキに酔いしれていたかったのに混乱!ちょっとどうしてくれるのよーってなった。その友人というのが偶然にも以前毛さんと引き合わせた(?)やや病的に忘れっぽいあの子。彼女はよく自分の間の悪さをネタにしたり悩んだりしてるんだけど、今回のはある意味すごく間がいいんだか悪いんだか。まぁ良かったんだけどむしろ。とりあえずうちのお母さんが1番焦ってるので、あまり気負わないよう、もう汚い今のままの我が家でいいよねってことで2人で諦めの境地に至ったw
ちなみに母はご飯をどうすればいいのかすごく悩んだり頑張っちゃう人なので、今回は一切出さなくていい、むしろ出さないで、と言ってあります。全部外で買うので食べたいものや食べられるものを一緒に買おうね。駅前のデパ地下的なとこでそれらを買った後にバスでうちに向かうんだけど、うちから歩いてすぐのとこにドラッグストアとコンビニがあるのでそこにも行きます。うち着いた後もいつでも1人でも自由に行けるからご安心を。とりあえず伝えたかったのはそれくらいか、てかいい加減メールでやりとりしろって話もあるけどここが心地いいんだよねぇ。この、いつか見てくれたらいいなー、的なのが最高。
大袈裟じゃなく今日は1日じゅう毛力さんのこと考えて脳内お花畑状態だった。そのことをどう日記に書くかばかり考えてた。けど、いざ書いてみるとなんか色んな方向にウザい文章にしかならなくて、書いて消してを繰り返して今に至る。
簡単に書くと、すっっっっごい嬉しい!って話なので会ったときに詳しく話そう。今日はほんと、恋愛が成就したときみたいなテンションで色んなこと考えた。娘が寝た後の時間が楽しみで楽しみで楽しみで楽しみで!

9月3日の日記

2013年9月3日
しししししん

9月3日の日記

2013年9月3日
私信つづき

9月2日の日記

2013年9月2日
今だけちょっと旦那に戻して書く。なんか事情があって今夜、旦那は店の女性スタッフとご飯食べて帰るらしい。事情とやらは後で話す、とのこと。こういうこと(女性スタッフと2人で食事)が付き合い始めから今まで1度も無く(聞いてる限りでは)、今回だっていくらでも嘘つけるのにわざわざ言ってきたわけで…とかそんな、事実がなんであれ、何がどうであれ………嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌過ぎる
どこまで嫌がるべきか非常に困る。無視できるレベルでもあるんだよ本当は。自分の気持ち1つだ。それこそ、何かを「好きになる」か「何とも思わない」かの些細な違いと同じくらいの些細さなんだよ。こうして文章にすることで冷静になろうとしてたり、待ってる時間を誤魔化してたりするわけです。
けどここまで書いてる内にかなり落ち着いてきた。夫に戻せそうだ。「事実」なんかより「私の気の持ちよう」の方がずっとずっと大事なのは間違いない。これは日記のネタとして昇華できる話。大丈夫。
この後どうなるのか想像はつく。夫から事情とやらを聞いたらおそらくすっかり納得する。そら仕方ないわってくらい特別な事情に違いない。私が嫌がることを彼が想像できないわけがない。うわーいいのかなここまでハードル上げちゃって。今までの、私の知ってる夫なら、私を気持ちよく納得させてくれる。その期待を裏切ったことは無い

と、ここで食事を終えた夫から電話がありました。事情とやらを聞きました。

うーーーーーーーーーーーーん、納得はできる。私は本当に自分でも大絶賛しちゃうくらい色んな人の立場に立って気持ちを共感しようとできる人間ですので、夫の言う「事情」には4人の人間が出てきたんだけど、それぞれの気持ちがとてもよく分かる私には、夫がその女性スタッフをご飯に連れていった気持ちもまた非常によく分かる。納得はできる。しかし気持ちよくなるほどの清々しい事情とまではさすがにいかなかった。不快感だけはどうしても残る。今後もし同じようなことがあればその度に食事に行くのか?とも思うし。がしかしこの女性の働き如何で、夫が仕事を休めるようになる日が決まる(未だ休み無し)、というまた別の事情がある。えー、つーかなんなんだよこの女、これは敵認定すべきなのか?いや、こういう人こそ嫌いにならない方が得だ。私はいつだってこういう相手を嫌いにならずに生きてきた。その方が楽だから。好きも嫌いも紙一重で、ちょっとのさじ加減であり、気の持ちようである、ということは何に関しても言えるのだ。のだ。

てか私、夫にはもう期待しないとか言ってたわりに思いっきり期待云々書いてるじゃんね。人間だものだものだね。なんかこう、自分が自分の思う本当に嫌な方向にぶっ壊れずにいられてるのはとてもいい感じだ。私はいよいよ「病み」というものから距離を置けるようになったのかも?1年前なら半狂乱だったかもしれないし。しんどい思考から上手に抜けられるってのは以前の私には無かった素晴らしいスキルであり、鬱でない普通の状態とも言える。その上手な抜け方ってのがこの変なテンションで文字を打つというカッコ悪い手段なのは非常に私らしく、もはや何を書いてるのか中盤あたりからよく分からなくなってるけど気持ちはだいぶ楽です。それが1番大事。

9月2日の日記

2013年9月2日
私信

ついでに日記の続き。
私の大好きな友人はツイッターとか見てても多趣味で、それがまた、人生において重要だと思うきっかけになった。あと以前も書いたけど玩具屋さんでも。そこの商品の大半は娘が今後好きになるかもしれない、もしくはちっとも興味を持たないかもしれないもののどちらかだ。けどそれって別に娘に限ったことじゃない。私だって今は全く興味無いけど今後大好きになるものだってあるかもしれない。人の影響を受けて好きになるものだってたくさんあるし、娘の好きになるものに興味を持つのも間違いないだろう。今だって以前まで存在すら知らなかったEテレのキャラに若干夢中だったりするし。
全く同じものが、人によって好きだったりどうでもよかったり嫌いだったりする。けどやっぱり、好きが多い方が人生かなり得だよね。料理とかまさに。料理好きとか掃除好きとか、すごいお得だと思う。好きとか嫌いって、ほんの些細な、ちょっとしたことで変わることもある。娘に無限の可能性があるように、私にだってあるんだよ。まぁ最終的に何が言いたいかっていうと、今しんどいことや面倒なこともいつか好きになるかもしれない希望があるって話。そして好きなものが今より増えて人生がもっと豊かになってるかもしれない。
私本当に長年鬱だったなって思う。好奇心とかほぼ消滅してた。何より食べること以上に優先できるものが無いに等しかった。そして、家にいればよかった。それはとてもありがたいことであると同時に本当に何もしない出来ない人間のままこの年齢まで生きられてしまった。脱線しそうだから話を戻す。
娘の名前には一応由来がある。後付けだけど!名前に少し手を加えると「好き」という意味になる。これはずっと夫が言ってることなんだけど「好きこそ物の上手なれ」的な感じで生きていってほしい的な?そのへん曖昧だけどそんな感じらしい。まぁ後付けなんだけども。私は「下手の横好き」も含めていいかなって思う。好きって大事。ほんと何より大事だって思う。いい名前だなって今更ながら思う。こんな愛想のない子他に見たことない!ってくらい愛想はないけど、なかなかくせのある面白くて可愛い子に育っているなっと。

まだ少し時間あるから別の話題。
最近はまた、調子があんまり良くなくて全然元気じゃないけど、調子を崩してしまうところまでもいかないくらいの中途半端な状態が続いてる。その状態に慣れたかなっくらいの感じの。寝付きもよくは無いけどまぁ最終的に寝てるし、食べる方も、食べ終わるのが辛くて元気なときよりも食べてしまうけど過食までいかず、それが若干体型に出ることにも慣れた。慣れた感がやたらある。元気もいいけどこれはこれでありかな。前は元気か不調かしか無かったけど、中間ができたというのは何気に素晴らしい変化だ。よく考えたらすごいことかもしれない。きっとすごいいいことだ!!

9月2日の日記

2013年9月2日
前にもちょこっと書いたけど、娘を通じて人生をやり直してるような感覚がある。実際には見つめ直してるだけなんだけど。娘はまだ知らないことだらけの真っ新な状態。これから様々な出会いを経て「自分の好きなもの」を見つけていくんだ。私は今この「好きなもの」ってのが生きる上で何より重要だと考えている。好奇心が強くて「好きなもの」の多い人はそれだけ濃い人生を送れたり、生き甲斐をより多く持てたりする可能性が高く、生きる意味が分からなくなって苦しむ可能性が低いんじゃないかってね。ああ娘起きた、

8月30日の日記

2013年8月30日
うーーーーん…………眠れない。徐々に寝付きが悪くなってる。気のせいだと思いたかったけど無理っぽい。お酒飲んでどうにか寝ても途中で起きてやはり眠れなくなるし。娘の寝かしつけより自分の寝かしつけの方がよほど難しいじゃないか。はぁ……。眠れないだけならいい、それはよくあることだし。問題は、眠れないことがしんどくなってきていること。

8月28日の日記

2013年8月28日
今日は気分が良かったので発泡酒飲んだ。あーなるほどこれはいい。よい酔いはこんなにも素敵なのか。娘を寝かしつけてから離乳食の冷凍ストック作りをするのが日課で、それが終わればあとは夫からの仕事終わりの電話を待つだけになる。これがなかなか遅いのでちょっとアレなんだけど、待ちながら晩ご飯?を食べるのも1日の大きな楽しみ。今はその晩ご飯タイム。ちょっと酔っ払ってしまったので変な文章を書いてしまうかも。とあらかじめ言い訳しておく。
離乳食を作ってる間にいつも色んな考え事をしてしまうんだけど、今日はなかなか頭の調子がよかった。だからこその発泡酒なんだけど。その考え事ってのを書きたくて書き始めたのに結局そこが書けずに終わるっていうね。

8月28日の日記

2013年8月28日
今日は恐怖の予防接種。前回から1ヶ月以上ぶりだからかなり久々感。前回はまだ歩いてなかったもんな、あれから劇的に成長した気がする。今回は泣くかな。泣くのは当然として、どの時点で泣くか。どの声量で泣くか。いつまで泣くか。これらの点においても成長(変化)は見られるのであろうか。
いつもとは1日のスケジュールがだいぶ違う。今のところ想定通りに進んでる。これが寝てほしい時間に寝なかったり逆だったりするとものすごいイラッとしてしまう。まぁ、しょうがないよね。なんか最近ちょっと疲れがたまってるような。ほとんど同じ毎日の繰り返しなのに、自分の身体の方は毎日同じってわけにはいかない。なんでだろな。なんでってこともないけど。むしろ毎日一緒の方がおかしいか。そりゃそうだ。どうかもういっぱいいっぱいにならずに生きていきたい。辛い日々はもういやだ。今の平和がまた崩れるのは本当に嫌なんだ。ほんともう誰に怒ればいいんだろ、いい加減にしてください。

8月26日の日記

2013年8月26日
もう本当にそういうの大好きで、読む前なんだかしんどかったのに読んだらスッキリかなり楽になってしまうほど、これはいったいどういうメカニズムなのか解明できたらいいのに。
らっきょと豆腐(木綿)を一緒に食べるのが流行ってる。らっきょの歯応えと豆腐のボリューム感が最高のコラボ。らっきょ?らっきょう?しばらくブームが続きそうだ。

8月24日の日記

2013年8月24日
好きだから共感する、と同じくらい、共感するから好きになる、というのもありそう。むしろ後者の方が健全な感じ。じゃあどうして共感するかと言ったら、同じor似た経験をして知ってるからっていうのも多いだろうけど、人より圧倒的に人生経験の少ないであろう私が人に共感するときの大半の理由としては「納得できるから」。擬似体験してみて納得する。だからより詳細を分かりやすく伝えてもらえるほど納得するし共感するし、そういう人が好きなんだろうな。分かりにくい人ほど好きだった時代もあった。分かりにくい人ほど分かったと感じたときの喜びが大きいから。まぁ結局ただのぐわし系だった場合も多かった気がするけど。より複雑な人ほど分かったと感じるときの喜びが大きい、というのはやはりあると思う。複雑だけど伝えるのが上手な人は最高。そもそもそういう話に興味がない人とはあまり深い仲になれない。そんな感じかなぁ。そんな感じってどんな感じだ。夫とはつくづくそういう感じの私好みの話をあまりしたことないなぁって思う。ごく最近、たまにチラッと話す。新しい職場の新しいスタッフの人柄の話とか、スタッフ育成?の話みたいな。これけっこう面白い。

なんか夜のテンションでおかしなこと書いてるなちょっと今の無し!

8月24日の日記

2013年8月24日
娘を通して人生をやり直してるような感じかも、娘の体験を擬似体験しているのかも…なんて思ったけどそれを言ったら、娘だけじゃないかも。私は人の話や日記から想像する全てを擬似体験しているかもしれない。あれ、これって普通のことだったりする?すごい発見のように思って書いたけど誰もがわざわざ意識せずにやってることなのかも。もちろん他人事だから、例えば苦しい話ならそれを全く同じレベルで苦しむわけはないけど、なんかもう、知り得た全ての情報を元に頭の中で主人公を私にかえた物語を読んでいるような…なんて言ったらさすがに言い過ぎか?
いや待て待て。誰の話でも聞くだけで擬似体験するわけじゃないはず。やはり共感できる人の話でないと。共感できるかできないかの違いって何?そりゃやっぱり、共感したいかしたくないかの違いだろうか。それって結局、その人を好きかどうかって話では。てことはこれは別にすごい発見でもなんでもなさそう!
だったら本当に、本読めよって話だ。でも本は苦手だ。漫画の方がまだずっと読める。けど漫画もやっぱり、面白いという詳細の感情を人と共感したい。今なんか急に思い出した。10年ほど前に私がわけも分からないまま必死で周囲に吹聴しまくってたことに近いことを今また思ってるのかもしれない。「私の人生最大の喜びは共感であり、共感のために生きている」とかなんとか、そんなことばかり言ってた時期がある。
ちょっと、思いつくままに書いちゃって、まだ全然まとまってないしまだまだ何のこっちゃ話。

8月22日の日記

2013年8月22日
子供が成長して自分の時間が今より持てるようになったとき、私は何をするんだろう。結局また過食嘔吐に戻るんだったらすごく嫌だな。それを避けるために吸うたばこ…イメージしてしまう。でもたばこも本当に嫌だ。吸いたいときに吸えないストレスも嫌だし、老化が早まるのもめちゃくちゃ嫌、そして何よりたばこを嫌がる人に迷惑をかけるのも嫌。「たばこを吸う母親」とかほんと嫌過ぎ。どれも最強に嫌だ。一時の衝動で吸っては絶対だめだな。まぁ冷静に考えればよほどのことがない限り大丈夫だろう。
娘の昼寝時刻が日によって大幅に変わるようになった。今までは昼食までもたずに必ず寝てたのに、お昼食べてお風呂入ってから寝るパターンが追加された。初日は焦り過ぎた。試される「臨機応変力」。てかこれも上がっていく能力じゃなくて、調子がいいときは余裕で発動するしダメなときはダメ、なだけな気がする。
子育てのしんどさが減れば自分自身の面倒臭さが増して結局しんどさは常に変わらなかったりしてね。ありそうだなぁすごくありそう。とりあえずここ最近はしんどさがかなりちょうどいい。ここから変わらないでほしいけどそれはありえない。日々常に変化してく。大事なのが食事と睡眠てことは永遠に変わらないかも。この2つが今はわりとうまくいってる。ここが壊れないことを願うばかり。

8月20日の日記

2013年8月20日
うっかり過食嘔吐しようかと考えてしまった、危なかった。1回やったらまた始まる。そして続く。恐ろしい。たばこもそうだ。たばこだけは絶対にだめだ。でも過食嘔吐はまたうっかり考えてしまいそう。今後も考えるだけですむといいけど、どうだろうな。とにかく今日はちょっとかなり危なかった。
日曜日。夫が仕事終わってうちに着いたときには案の定、娘は寝てた。娘が寝てれば私は意識を完全に夫に集中できるから、2人でかなり平和な時間を過ごせたと思う。本当に久々に、いやもしかすると初めてかもしれない、私も心から飲みたくなって自発的にお酒を飲んだ。発泡酒だけど。350を一瞬で飲んで酔っ払って超ご機嫌だった。いつもお酒を飲むと過食衝動に駆られるから普段は絶対飲まないんだけど、この日は平気だった。私には将来、摂食障害とか様々な悩みから解放されたときにやりたい・できるようになりたいことがいくつかある。その1つがお酒を嗜むこと。お酒と上手に付き合えるようになりたい。お酒をお酒好きな私の好きな人と楽しめるようになりたい。だから、とても珍しくお酒を楽しむことができてすごく嬉しかった。
そしてその後、やはりこの部屋は戦場と化した。夫が眠った深夜1時半頃に娘が起きた。最初は寝ぼけてちょっと泣いたけど、やがてはっきり目が覚めて、それから3時くらいまで娘と私2人で横になったまま起きてた。夫のイビキを聞きながら。いよいよ娘が眠くなって、ちょっと泣いてから寝た。私も4時くらいにはどうにか寝付いた。何故かその夜は気持ちが全く焦らなかった。眠れなきゃ眠れないでいいやーって思えてた。娘がぐずらなかったのも助かった。いや本当にお利口だったな、1時間以上じーっと横になってた。一瞬オモチャ出して遊んだけど。
毎晩だったら無理。絶対無理。けど1夜くらい寝なくてもいっか、て思えてたから苦しまずにすんだ。次の日は超絶眠かったけど。そのさらに次の日が今日で、うっかり過食嘔吐しそうになった。今日はいつになく娘の機嫌が悪くて、いつも寝る時間に寝ないし普段とスケジュールが変わりまくって、やっとどうにか寝て、今に至る。なんだか疲れたような、調子を崩しそうな、大丈夫なような、自分でもよく分からない感じ。これからどっちに転がっていくのか、自分では分からない。FBで古い友人同士が仲良くしてるのを見るのが辛い。地元の友人とはもうだめだ。実家が引っ越して私には故郷がないから。そう思ってたけど本当はそれも関係ないのかも。病気だったから?疎遠だったから?なんでもいい。過去がどうだろうと、今や今後は大事にできるんだから。今大事な人が本当に大事。本当に貴重。つくづくそう思う。

8月17日の日記

2013年8月17日
今日は兄と姪4才が泊まりに来て、明日の夕方に兄嫁が迎えに来て、その夜、仕事終えた夫が来て1泊する。兄一家と夫は入れ違いだ。今日はともかく1番の山場は明日の夜〜次の朝、夫が来てから帰るまで。深夜、この部屋は戦場と化すだろう。今回はどうなることやら。
前回姪が来た時に実感したのが、自分の娘ができたことによる姪への興味の薄れっぷりの半端なさ。以前は会うのが楽しみで仕方なかったのに、だいぶどうでもよくなった!なんて薄情な人間だろう。正直、兄や兄嫁さんと会えることの方が断然嬉しい。4歳児とかちょっと面倒臭い。もはや子供という物体に対する珍しさも無い。おっと、どうやら到着したらしい。けどまぁ声が聞こえるとちょっとワクワクしなくもない。姪とうちの1歳児は今後どんな関係性を築いていくんだろう。やっぱり多少は張り合ったりするのかな。親が?本人が?そりゃ親次第か。しょうもない優越感や劣等感に一喜一憂しがちな人間にならないように育てたいもんだ。それはやはり親次第か。私は自分のしょうもない感情を子供の前で隠したりできないかもしれないけど、そしたらその都度それがしょうもないことだって一緒に教えてあげればいいんだな。そーだそーだ。

8月16日の日記

2013年8月16日
もうすぐ1歳5ヶ月の娘はテレビが好きだ。特に教育番組の数種、そのうちのいくつかのコーナーは見ると叫ぶほど大好き。大人の私達にはそれの何がそんなに面白いのかさっぱり分からない。乳幼児の笑いのツボって謎だ。けどそれを言ったら、大人の趣味だってさっぱり理解できない。例えばプラモデルとか、電車とか、フィギュアとか、ゲームとか…というのを最近オモチャ屋さんへ行く度に思う。子供に限らず、自分以外の人間が好きなものの大半は理解できないんだ。好きなものが多いほど、その好き度合いが高いほど、ものにもよるけどお金がかかるし、その分楽しみも多い。毎日ドラッグストアで娘と散歩してても思う。同じ使用方法のものが何種類も大量にあって、値段もピンキリで、その中から選択して買う。全く買わない人もたくさんいる。ものが溢れてる。生きるために絶対に必要なものはいったいどれだけある?絶対に必要、ではないものの方が圧倒的に多い。生きごこちを良くするために買うんだよね、化粧品とか、消臭剤とか、いい香りのする洗剤とか。人はどんな経験から何を好きになるのか、1人1人全く違う。娘は何を好きになるだろう。私はもっと無駄を省いたり、もっと好きなものを見つけてそれをもっと楽しんだりしたい。自分に何が必要なのかもっと分かるようになりたい。
自分の子供は自分自身ではないのだから思い通りにしようと思ってもそうならないのは当たり前、みたいに言うけどさ。それを言ったら、自分自身すらも全然思い通りにならないじゃない。それって結局自分も子供もあまり変わらない気がしてくる。むしろ自分で動かすわけじゃない分、子供の方が、見てるだけだし楽なんじゃないのかとさえね。自分を操る方が、思い通りにならないときの苦痛は大きい。どんだけ私は自分を動かすのが苦手なんだ。けどほんとそう。夫も子供も所詮自分じゃないんだから、思い通りにならないのは当然のこと。期待しすぎずに適度に諦めるべきだしきっと諦めもつきやすい。問題はやはり自分自身だ。

8月15日の日記

2013年8月15日
特に元気いっぱいでもないが調子も崩れずにいる、という状態が続いている。これはかなり珍しいかも。何が楽って、何よりまず食事と睡眠に苦を感じずにすんでいること。特に睡眠だな。寝るのってこんなに難易度低かった?ってくらいすんなり寝て、しかも起きなきゃいけない時間の10分前くらいまでほとんど起きなくなった。途中で起きてもすぐ寝れる。前は何度も起きてはトイレに行ったり何か口にしなきゃ気が済まないのが普通だったのに。これは本当に本当に楽だ。もし横に夫がいても以前ほどは苦しまない気さえする。
溢れんばかりにみなぎっていたパワーがだいぶ放出されきったらしく、そろそろ充電切れそうな感じ。ところで充電ってどうやってするんだろう?それが分かれば苦労しないんだけど。とりあえず食事かな、比喩でもリアルでも両方の意味で。てかリアルの食事は、食べてもあまり満たされないというか食べる前と食べた後であまり満足度が変わらないんだけどどうしたらいいんだ。ただ食べたという事実だけは更新されるから、まだ食べてないから食べたいという気持ちは消える。食べたら食べた分だけの満足がある、という昔の感覚はいつか戻ってくるんだろうか。とりあえず去年の今頃のような、食べたら凹むから食べられない、ということはなくなってよかった。凹もうが何しようが食べる方が優先だ。本能とか生理的な欲求にある程度すんなり従うことができるようになったのはとても良い変化に違いない。てかそれができないのは非常にやっかいで可哀想なことだ。分かってもらいにくいから尚更可哀想過ぎる。すごく可哀想なことになっていた自分を労ってあげよう。食べられない、眠れない、最悪だ 。
元気とか調子の波の件はさておき、やはり今が「鬱の無い」状態だということは強く実感する。わざわざ先のことを考えて不安にならない。余計なことを本当に考えないですむ。もしこれが普通なのだとしたら、私は病気だな。他の普通の人はいつもこの感覚でいられるの?いつもこれ?それがどんなに恵まれていることなのか、分かるわけないね。本当に今更だけど、私って普段はつくづく鬱病なんだな。大きなハンデを抱えて生きてるんだ。誰にも分からなくていいから、私だけはいつもそれを分かってあげていないと。それができなくなる病気なんだけど。いつか本当に治るだろうけどね。すぐかもしれないし。
とにかく夫には本人以上の何かを期待しないこと。
娘はきっと楽しく生きてるに違いない。
最近、ごちそうさまのときに毎回泣くようになった。ご飯の量が足りないわけではないと思うから、きっと楽しい楽しいご飯の時間が終わるのが嫌なのだろう、とポジティブに解釈してる。一瞬泣いたらケロッと遊び始めるからいいかと。どうにかもっと娘が楽しめる過ごし方を見つけたいのだけどなかなか。児童館以外で歩きたくなる場所どこかないのかなーなるべく徒歩圏内でーないわなー。

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