6月20日の日記

2013年6月20日
いやいやいやどう考えても藤木直人の方がいいでしょ!!!!!!アホかー

てか藤木直人はいい役過ぎるよねいっつもいっつも。昔大好きだったドラマの役いっぱいあったな。いやいやいやそんな若造のどこがいいのよ。でもやっぱりちょっとウスイさん似てる気はするんだけどなシルエットとか色とか色々。雲の階段の方がずっと必死に見てたのにラスト2回見れなかったくせにこの篠原涼子のやつはなんでかしっかり最終回全部見れちゃったよもーしょうもないわりにけっこう楽しかったよ!

6月20日の日記

2013年6月20日
先のことを考えて不安になったり苦しむのは馬鹿げてる、やめるべき、と思っていたけどそれは間違いだ。先のことを考えて苦しんでいるのは今であり、逆を言えば、今が苦しいからこそ考える内容も苦しいというだけのこと。つまりどう足掻いたって苦しいもんは苦しいんだ。考えてしまう先のこと…実際そのときが来たときに苦しんでるかどうかは分からない。結局、大事なのは今現在だけ。そして現状は変えられない。だから、なんでこんな苦しいことをわざわざ考えちゃうんだろう…って思ってもしょうがないのです。それは苦しいからです。回避できないことを回避できると思い込んで必死になっても仕方ないのです。私はいつもネガティブなわけじゃない。ネガティブなのは苦しいときだけ。だから自分=ネガティブでそのこと自体を否定するのは間違い。無駄にポジティブなときだってある。ポジティブなときは元気で幸せなとき。ポジティブ・ネガティブは後からついてくる結果であって、私自身のアイデンティティではない。あ、これでひとつ自己否定から脱出できた?

6月15日の日記

2013年6月15日
今度は私が覚醒してしまった。そりゃ泣きたくもなるよね>娘。
↑この文章が頭に浮かんでしまったせいで本格的に眠れなくなった。もういいや。眠くなるまでひたすら頭に浮かんだことを書いてやろう。
2週間前の月曜日に児童館で初めて歩いて以来、娘は徐々にその歩数を伸ばしている。他の子より圧倒的に愛想の無い我が娘。友達ママにも、たまに笑ってくれるからレア感あって嬉しいよ〜なんてフォローされる娘ははっきり言ってクソ可愛い。基本グズることの少ないイイコだけど、病院では毎回注目浴びるほど大号泣&出るまで泣き止まない。注射のときは大人3人がかりで体おさえる、先生も笑うくらい力が強いらしい。ここまで書いて1回消えて今2回目。
生きていくことの何がつらいって、私は人前で恥をかくのが何より嫌なのかもしれない。…本当にそんなことなの?またいつか掘り下げて考えてみよう。
私は環境には恵まれるけど私自身がもう手の施しようのないどうしようもないポンコツ、そういう人間でありそういう人生なのだ。なんで?って考えてもしょうがない、そういう星の下に生まれたのだ。向上心が無いとかじゃなくてむしろ無駄に向上心だけあって向上心しか無い。

6月15日の日記

2013年6月15日
子供のいる喜びははかり知れない。それによる幸福度の上昇と絶望度の深まりが全く一緒だとすると、生きること自体とそっくりだなって思った。そしてそれがプラスでもマイナスでもないとすると、生きてるのも死んでるのも一緒ってこと(?)。ただ、生きてなかったら知らなかった、感じなかった。知りたかったし感じたかったから生きることを選んだんだろうなぁ精子卵子時代の私は。。。
夜中に突然娘が覚醒して遊び倒したあげく、最終的に大泣きされてやっと解放されて今後の人生への不安やら自信の無さから気持ちが沈みまくってる時に思い浮かんだくだらない考えでした。寝よう。
どこへ行くにも母に車で連れていってもらわなきゃいけない。近所に歩いていけるドラッグストアはあるけど、離乳食用の新鮮な食料を売ってるスーパー、赤ちゃん用品専門店、児童館、どこも車でなきゃ行けない。そして毎日連れてってもらってる。そんなことだけじゃなく、毎日これでもかってくらい親に頼りきって生きてる。旦那に甘えて生きてる。私はこれ以上は出来ないくらいの楽をさせてもらってる。
それなのに?それなのに、私はギリギリ。いつもギリギリ。ここまでしてもらってて、それでもギリギリ。ギリギリアウト。毎日しんどくてしんどくて。理不尽な怒りに振り回される。限界。生きてるだけでいっぱいいっぱい。さっき毛さんのとこに『嫌々生きてる』って素直な気持ちを出せて、それだけで気持ちよく涙が流せた。気持ちよかった。

5月29日の日記

2013年5月29日
今日の世界仰天ニュースやばかったな…。拒食と過食をよく取り扱う番組だけど、ちょっと凄過ぎた。思わず目を覆ってしまうような悲惨な、でもどのニュースも一瞬も目が離せなかった。1時間、テレビの前から1歩も動けなかった。生きてるということはあんな恐ろしい状態になる危険を常にはらんでるってことで。私は娘がとても心配。

5月26日の日記

2013年5月26日
母の外出中に父と喧嘩した。きっかけは些細なしょうもないことで、最初は完全に父の方が悪くて大人気ないと思ってた。けど突き詰めると父の主張の方が圧倒的に正論であり、父が怒るのも当然のことだった。私に怒る権利なんか無かった。両親に散々お世話になっておいて、どの口が言う⁉って話だった。そこに気付いたときのあまりの恥ずかしさに、私はますます醜態を晒した。私なんかいつも口ばっかりで自分じゃ何も出来ないくせに、イライラして人に当たることだけは一人前。いい歳して本当に恥ずかしい人間。そんな私が私自身を許す方法があるとすれば、それは『自分の非をしっかり認める』ということだ。これが出来なきゃ本当に恥ずかしいままのどうしようもない人間であり、そこから変わりようがない。
ここまで文章考えるのにすごい頭疲れた。もうだめだ。とにかく反省しました。たまにビシッと言われないとね。母は優し過ぎるから、ついそれを当たり前のことのように思ってしまってた。私はつくづく未熟な人間だけど、それを誤魔化すことはしない(出来ない)し、だからこそ私の出来ないことをやっている人(つまり自分以外のほとんどの人間)を、その人のその部分を、心から尊敬してて、そういうとこに嘘がない自分のことだけはけっこう好きだ。まぁそう思えてないとやってられない

5月21日の日記

2013年5月21日
あああああああヤバイやばいヤバイすごいすごいかもしれないあああ旦那がすごいこと言ってる!今旦那が住んでるのがA市。私のいる実家をP市として。できれば来年の頭くらいにP市に引っ越そうって。えええええマジですかーーーそれはこの上ない最高のお話。うわあああ

5月20日の日記

2013年5月20日
相変わらずうんこみたいな調子の中、毎日どうしよもなくグダグダになりながらも月日はいつも同じテンポで進んでいるらしい。娘の急成長にビビる。親がどんなに立派な人間でも子供がチンチクリンに育つことだって多々あるように逆もまた然りだ。無理に教えても出来ないもんは出来ないし、教えなくても時期がくれば勝手に出来るようになってる。毎日うんざりするうんこ生活でもなんだかんだでやっぱり子供優先で動けてしまう。児童館でできたお友達の子がめちゃくちゃ可愛くて、週2回あの子を見て癒される。次は金曜日。楽しみ。きっととっても大事なこと。

5月15日の日記

2013年5月15日
あれよあれよという間に崩れていく調子。もうメカニズムなんか糞食らえだよ。しばらく消えてた苦痛が舞い戻ってきた。こうなるともう何がどうなってても生きてるだけでしんどい。することがあろうがなかろうが関係ない。好きなだけ引きこもって過食できる環境だろうが、そうでなかろうが、しんどいのは一緒!お先真っ暗だと絶望するのは、結婚してようが子供がいようが一緒!引きこもりニートの頃の方がしんどかった?楽だった?どちらでもない一緒〜!この苦痛に対してはなにものも影響を与えることなどできないのである〜。あー朝から晩まで辛い。ついこないだまで何も辛くなかったのにな。つかの間の普通の日々だったな。こうして今後の人生もたまに普通or元気になりつつ7〜8割くらい苦しみながら生きていくんだろうな。やってられないな。なるべく早く終わりますように。

5月11日の日記

2013年5月11日
普通じゃなくてごめんと言ったら、普通なんて無いよって言ってくれた。救いになるし、確かにその通り。私の妥協点。最も合理的で現実的で。今後も頼りまくって生きていこう。
ケーキ焼き中。旦那が来るのは明後日なんだけど2日ほど冷やした方がいいとのことなので。ケーキをホームベーカリーではなくオーブンで焼くのなんて何年ぶりだろう。久しぶり過ぎて出来上がりがとっても不安。数年前にはしょっちゅうパウンドケーキやらクッキーやら自作のパンなんかを焼いてた時期もあったのになぁ。しなくなると記憶って消去されるよね、なーんも覚えてない。
今焼いてるのはおからとヨーグルトの超絶ヘルシーケーキ。旦那こういうのが大好きだからうまく出来たらきっと喜んで食べてくれるはず。おぉ!膨らんでる!ほぇ〜。最近なんだかまた旦那にイライラしやすくなってていかんいかん。離れててたまの電話でさえこんなイライラしてるのに、一緒にいたらどんなことになるのか恐ろしい。いいところ35個探すのやめたのも、考えてるとどうしてもイライラしてしまうからっていう。35個くらいきっと簡単に出てくるような本当にいい旦那なのに、些細なことで全部忘れてイライラしてしまう私の頭をどうにかしたい。
しばらく娘と私は一緒に風邪をひいてる。熱もない鼻風邪だけど娘は息苦しいのか夜泣きが増えた。けど私も風邪薬が効いてて、夜泣きで少々起きてもまたすぐ眠れるようになった。ちょっと風邪薬がやめられそうにない。これはヤバイ。今まで様々な眠剤を飲んでは合わなくて苦しんできたのに、まさか市販の風邪薬がこんなにいいとは!

4月27日の日記

2013年4月27日
やめた。35個考えるのしんどい。それを何かにきちんと書くのとかしんどすぎる。ケーキで精一杯でした、
もうすぐ旦那の35歳の誕生日。プレゼントはもうネットで注文したのが届いたし、ケーキも焼くんだけど、先日テレビで見た超愛妻家の芸能人のアイデアをパクってもう1つ用意しようと思う。それが旦那のよいところを35箇所見つけて伝えるというもの。けっこうな数なので思いついたときにすぐメモしよう。最後の2つはもう決まっている…というかそこも丸パクリで。

4月20日の日記

2013年4月20日
唯一徒歩圏内にある支援センターはいつ行っても人がいない。いるにはいるんだけど大半が外で遊んでたりショートステイ用の別の部屋にいたりで、同じ部屋で同じように遊ぶ同じ1歳前後の子がいない。広くて無音の部屋に娘と2人きり。おもちゃがどんなにたくさんあっても、トランポリンやマットがあっても、ボールでいっぱいのプールがあっても、他の子やママがいないと全く楽しくないことがよく分かった。いつも安心して会える人がいればなぁ。約束とかせずに自然と集まる。A市に戻ったらまた人間関係ほぼ0からスタートか。あれ、これパターン③だ。終了〜

4月19日の日記

2013年4月19日
児童館にて、よく会う人と今日も会って4回目。5だっけ?もう分からなくなったしもうかなり仲良しになってしまった。さらに今日は体操で会った人とも再会。てか男の子だと思ってたら女の子だったー!大失態。体操のとき、てっきり女の子うちだけだと思ってたもんで。けど知り合い増えて嬉しい。なんか普通っぽい自分が嬉しい。しまむらのどうしよもない服着ててもちゃんと他のママが普通に話しかけてくれるよ!!

4月17日の日記

2013年4月17日
妥協力はかなり上がったと思う。昨日なんとなく久々に体重を測ってみた。けっこう痩せてきたと感じてたのでそれを数値として見たかったからだ。自分の予想より5kg以上重くてふいた。体重計壊れてんのかと思ったほど。でもよく考えたらそんなもんだなって納得して、最初こそショック受けたけど特に落ち込むことも後悔することも無く。その後も、今に至るまでいつもと何ら変わりない日常を過ごしてる。そんな事実は基本的に忘れてる。すごいな、今までならありえないこと。これはもう本当に娘の存在が大きい。起きた
とは言え…思い出す度にややへこむ!!

4月17日の日記

2013年4月17日 趣味
前の日記は、自分の『妥協力』を高めるのに有効かも?と思って自分なりに改変しながら書いたけど元が芸術の話だしやや意味不明な感じ。けど考え方に共感した。私はいつも自分の中の理想の自分と実際の自分を比べては、劣等感に苛まれたり、自己嫌悪したりして、いつまでも納得がいかないからいつまでも苦しむはめになってた。でもそういった優劣の概念を離れ、『ただ』生きる、『ただ』日々の作業をこなすことこそが本当に美しいんだって教えてくれる文章だった。

4月16日の日記

2013年4月16日 趣味
メモ
ちょっとだけ救いになるかもしれない話

自己啓発本は解決方法を示していない。劣等感のある人に対して『比べずに楽しもう』『無為に生きてると思わないようにしよう』等の安っぽい精神論。大事なのは『どうやってそれをするのか』ということでは?足りないのは精神力より、考え方•立ち位置•構え方。
まず、無能さ•劣等感の克服から。
『物証法的発展は際限がないので永遠に幸せになれない』
物証法的発展とは、AとBという2つものによって生じる矛盾からより良いCを導くように発展していく方法。延々矛盾が続き、延々新しいものを探し続けるはめになって永遠に解決しない感じのやつ。ではどうすればいいか。
『物事を2つに分けてしまった時点で間違い』
美しい、醜い、優れている、劣っている、その考えから離れられたときに自ずと真実が出てくる。『天才』を思うから『凡人』が生まれる。『美しく』ありたいと思うから『醜い』という概念も現れる。『ただ』存在する『ただ』行動するのなら『ただ』という概念1つあるだけ。醜くならない。それでも人は美しくありたいと願う。ただ、その概念は他との比較の上にあるもので、実体として『天才』や『美しさ』が存在するわけではない。美しいという性質はそのものに本当に備わっているわけじゃない。
『比較上の美しさに囚われなければ、比較されない本当の美しさが出る』
ここまでは、自分自身への嫌悪感や自分に納得がいってない場合の気休めの考え。

結局、より『良く』なろうとか、もっと『美しく』という考え方こそがそのものを醜くする元凶であり、そこから抜け出した自由こそが、あなたのものを良くし、美しくする。自分の能力を超えるような考えを一旦捨てて、自分に見合った『大したものじゃないもの』を作りなさい。それを何度も繰り返し繰り返しやることが大事。当たり前のもの、シンプルなもの、平凡なものを繰り返し作ることで作業が自動化されていき何も考えずに作れるようになれば、自分の凡才を離れ、仕事自体が仕事したものを作れるようになる。
『仕事が仕事する』

4月16日の日記

2013年4月16日
ついに発見してしまった。実家から徒歩で行ける、週5で夕方までやっている、正真正銘『子育て支援センター』を…!むしろ何故今まで知らなかったんだっていう。1番近いしめちゃくちゃ便利じゃん!!明日は休みだから明後日からさっそく行ってみる。嬉しいな、嬉しいんだけどな、微妙といえば微妙だ。だってこの土地で娘育てるわけじゃないし。なるべく早くA市に戻って、A市の方々との交流を深めていった方がいいのでは…なんて思ってしまうけどやっぱりそういうのもきっと、全てはタイミングで、運命なんだ。今ここにいるのならここでの出会いこそが運命で、いつかA市に戻ったときに出会う人こそが出会うべくして出会う運命の人なんだ。何より、どこにいたって娘は成長する。それが1番大事。

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