8月24日の日記
2013年8月24日娘を通して人生をやり直してるような感じかも、娘の体験を擬似体験しているのかも…なんて思ったけどそれを言ったら、娘だけじゃないかも。私は人の話や日記から想像する全てを擬似体験しているかもしれない。あれ、これって普通のことだったりする?すごい発見のように思って書いたけど誰もがわざわざ意識せずにやってることなのかも。もちろん他人事だから、例えば苦しい話ならそれを全く同じレベルで苦しむわけはないけど、なんかもう、知り得た全ての情報を元に頭の中で主人公を私にかえた物語を読んでいるような…なんて言ったらさすがに言い過ぎか?
いや待て待て。誰の話でも聞くだけで擬似体験するわけじゃないはず。やはり共感できる人の話でないと。共感できるかできないかの違いって何?そりゃやっぱり、共感したいかしたくないかの違いだろうか。それって結局、その人を好きかどうかって話では。てことはこれは別にすごい発見でもなんでもなさそう!
だったら本当に、本読めよって話だ。でも本は苦手だ。漫画の方がまだずっと読める。けど漫画もやっぱり、面白いという詳細の感情を人と共感したい。今なんか急に思い出した。10年ほど前に私がわけも分からないまま必死で周囲に吹聴しまくってたことに近いことを今また思ってるのかもしれない。「私の人生最大の喜びは共感であり、共感のために生きている」とかなんとか、そんなことばかり言ってた時期がある。
ちょっと、思いつくままに書いちゃって、まだ全然まとまってないしまだまだ何のこっちゃ話。
いや待て待て。誰の話でも聞くだけで擬似体験するわけじゃないはず。やはり共感できる人の話でないと。共感できるかできないかの違いって何?そりゃやっぱり、共感したいかしたくないかの違いだろうか。それって結局、その人を好きかどうかって話では。てことはこれは別にすごい発見でもなんでもなさそう!
だったら本当に、本読めよって話だ。でも本は苦手だ。漫画の方がまだずっと読める。けど漫画もやっぱり、面白いという詳細の感情を人と共感したい。今なんか急に思い出した。10年ほど前に私がわけも分からないまま必死で周囲に吹聴しまくってたことに近いことを今また思ってるのかもしれない。「私の人生最大の喜びは共感であり、共感のために生きている」とかなんとか、そんなことばかり言ってた時期がある。
ちょっと、思いつくままに書いちゃって、まだ全然まとまってないしまだまだ何のこっちゃ話。
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