3月19日の日記

2013年3月19日
何かしら不快感を持ったとき、『今不快なのは自我のせい、自我が勝手に考えてるせい、自我が私を不快にするような思考を勝手にしてるせい、その自我と私自身は切り離すことができる』と考えてみる、名付けて『自我切り離し法』。これが私には実に効果的であまりに素晴らしいので、それに見合うスッキリした名前が欲しいところだ『自我切り離し法』とかよりもっと語呂のいいやつを!
言ってしまえば、私はほぼ常に不快だった。いつからだろう…やはり初めて過食症になった19歳の夏〜秋くらいからか。生きてるだけで不快。息してるだけで不快。なんでなのか、どうすればいいのか。コレダ!と思える答えにやっと、10年以上のときを経て初めて辿り着けたように思える。それほどの大発見。人生永遠の課題に思えた『太ってるのが辛い』という不快感から、たった今、かなり解き放たれている。それも『十分に痩せているから』という理由ではなく、それ以外の、かつてない理由によって。太ってるのが辛いのは、太ってる自分を責める(辱める)思考のせいだった。太ってることだけじゃない、あらゆる自分の理想通りにならない・できない事象、全てについてこれを当てはめることができる。その思考を、許す必要も、認める必要も、受け入れる必要もなかった。切り離せばいいだけ!切り離してもいいんだって!切り離していいよって釈迦も言ってるんだからw
自分の中のどんな汚らしい感情も、優越感も劣等感も、ぜーんぶ切り離していいんだ。自己嫌悪・自己否定する思考を止める必要もない(何故なら思考は止められない)、よって無理やり自己肯定する必要もない、自分を好きになる必要もない、自分を自分の味方に…なんて思わなくてもいい。だってそれは自分ではないのだから。自分の一部に過ぎない、しかも切り離し可能。なんて無理のない方法でしょう!好きとも嫌いとも思わなくていい。まさに『もう自我くんたら☆』であり、これで終了していい。なんて無理の無い方法!むしろ今までどんだけ無理だったんだ!自分を許すなんて無理なことをやろうと必死で必死で、できないからますます許せなくなってそれをまた許そう許そうと必死で必死で悪循環バカ!
『過去のトラウマ』『辛い家族環境』…そんな、誰が見ても明らかに苦しい・心を病んでおかしくないような明確な『理由』が思い当たらないことは、私をより一層苦しめてきたように思う。苦しむ理由がないのに苦しがるなんて、それって本当に苦しいの?本当に苦しんでる人の苦しみを知らないくせに?そもそも何が苦しいの?なんで苦しいの?無いじゃない!これっぽっちも!バカじゃないの!
こうやって私、ずーっとずーっと私を苦しめてきたんだ。気付いてなかったわけじゃないけど、それって、私が苦しんでもいい十分な理由になり得るんだね。なり得るんだってことを初めて正当化できた気がする。苦しんで当然だったんだよって教えてもらえた気がする。それが何より苦しいことなんだって全力で納得できた気がする。反論が浮かばない。こんなの初めて。世の誰しも自我に苦しんでる。自我の苦しみに比べたら、出産の痛みなんて…毎日でも出産できるわ!って、先日散歩しながら本気で思った。
この『自我切り離し法』の素晴らしい点は、今現在の不快感だけでなく、今後感じるかもしれない不快感に対しても有効なところである。この先こうなったらどうしよう、怖い、不安…そんな感情をかなり取り除いてくれる。では具体的に、もし恐れた通りの望まない状況に陥ったとき、いったい何がどのように不快になるのか。なんと、その不快感の大半が自分の思考によるものなのだ。それならそのときその思考を切り離せばいいだけ。簡単なお仕事。もし切り離せなかったとしても、それは切り離し可能なしょうもない思考の産物に過ぎない。もう自我君たら☆なのだ。こうなってくるといよいよ本当に語呂のいい名前が欲しい。娘起きた

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